オチのない話
小中高一緒だった幼馴染によく言われることがある。
「道草って話にオチなさすぎ笑」
いや、なんだかすごく辛辣な言葉のような感じがするな。初対面で話しててこんなこと言われたら即その人との関係をシャットダウンしたくなるくらいには辛辣だ。
しかしそこは長年の付き合いが成せる業だ。
友だちが少ない私にとって今でも頻繁に連絡を取る間柄はこの子くらいである。
いわゆる親友だ。
その親友は思ったことはスパッと言ってくれるところが良いところだ。
というか、親友という言葉を今初めて使ってなんだか涙が出そう。
私に親友と呼べる存在がいたんだな。。
嬉しいんだか、悲しいんだか分からなくなってきたな。
とまあ、その親友に特に高校時代なんかはよく「オチがない」と指摘され続けてきた。
いや、自分でも自覚はある(そりゃ毎回言われてれば嫌でも気づかされるけども)。
自分ではめちゃくちゃ面白いことがあったからぜひとも報告したい!と思って嬉々として話すのだけれど、返ってくる言葉は必ず
「…で?」
泣く。
まあ着地点を定める前に話を離陸させるから、話してる途中で
(あ、やばい…これオチない…)
って気づくわけですよ、ええ。
でもって話しながらオチを探すから無駄に話が長くなるし、まあ結局オチは見つからない。
悪循環を毎度繰り返しているわけです。
親友でなくとも、思ったことをズバズバ言うタイプでなくとも、もはや知り合いでなくとも、
「オチ、ないんか〜い…」
と言いたくもなる。
最近になってなんとなく気づいたことが、文面だとわりとまとまった会話ができるということだ。
でもレスポンスの早い会話は苦手だから返信が遅くなることも多々ある。
要は話す内容を頭の中で整理する猶予が欲しいということなんだなぁと。
リアルタイムに書けない。
卒論時期はヒイヒイ言いながら死にそうな思いで書いてたわけですが、
最終的に結論をどうしたいのか、そこまでにどう繋げるか、道順を全部決めてからじゃないと書き始められない。
これがしんどい。
レポートも卒論も流れが決まらないと書き始められないから締め切りギリギリになるまで思いつかないと本当に地獄なのだ。
オチを見つけてから書き始めるおかげかレポート等の評価はまあまあ良い。
最近ではTwitterでもツイートするときも一旦下書きに保存して時間を置く、ということが増えてきた。
しばらく寝かせておいて、自分で客観的に見ておもしろいかなと思ったやつをツイートするようになった。
こういうことを言うとツイートに対するハードルが高くなってしまうな…
そのせいもあって下書きばかりが増え続けてしまった。
その内容も「今日誰とどこに行った」とか"今"起こっていることではなく、ツイートの時間軸がはっきりしていないものが多い。
自分の中で落とし所を見つけるための猶予がないからリアルタイムで書けないのだ。
そうやって考えすぎてしまうところがあるので、人と話すときのスピード感にズレが出て上手く関われないのだ。
人と話すことはとても好きなのに、本当に損をしている。。
それでも、これからもオチを探し続けて生きていくんだろうなぁ、、、
まあつまり何を言いたいかというと、この話にオチはないということです。