脱・暗記型教育が真に必要なのは
最近、学校教育において従来の暗記型教育を脱しようという動きが活発だ。新学習指導要領でも「主体的・対話的で深い学び」を重視している。この脱・暗記型教育が子どもたちにとって主体性や課題解決力を高めるために不可欠であることに異論はない。しかし、友人との会話を思い出して少し引っかかることがあった。
私は大学で、教職課程を履修している。しかし教員ではなく民間就職を考えていたため、教員採用試験は受けないつもりでいた。無論、教採の勉強も一切していない。
大学も4年目になり大学に行く日も少なくなりつつあったある日、大学図書館で久しぶりに友人の姿を見かけ声をかけた。彼女は教員志望でその日は図書館で教採の勉強をしていた。
「久しぶり。それ、教採の問題?」
「久しぶり、そうなんだよー。しんどい(笑) 特に教職教養が、、」
ちょうど開いていた教職教養の教育法規の問題を見せてもらった。
教育法規の全文にいくつものマーカーが引いてあり、彼女の努力がひしひしと伝わってくる。そこでふと、気になったことを聞いてみた。
「これって、どういう風に問題出されるの?」
彼女から返ってきた言葉に私は耳を疑った。
「マーカー引いてある語句が穴埋めで出されるの。一言一句合ってないと不正解」
彼女の受ける都道府県の試験では、虫食いになる部分もすでに決まっており、暗記するのだという。意味が同じであっても原文と違う言葉は✖。
衝撃だった。日本全体で教育改革を叫んでおきながら、暗記型教育の最たるものをあろうことか教員採用試験でいまだ実践しているとは。
子どもたちに主体性だ!アクティブ・ラーニングだ!と脱・暗記型教育を推進する側の教師を採用する試験で暗記問題を出し続けている現実。子どもたちにさせる前にこの現実をまず改革していかなければいけない。
脱・暗記型教育が真に必要なのはいったい誰か、今一度考えるべきではないだろうか。